うまの横顔

都会で刺激的な生活を送る僕と、田舎で何の変哲もない生活を送る猫。

とりあえず、ポケモンゴー、な空気。

ポケモンゴー、という単語を初めて聞いたのが、昨日の大学だった。朝の登校中に、数人の学生が頭を突き合わせてスマホを覗き込んでいた。こうした光景を校内ではよく目にするが、外で、いい年をした学生が、こんな中学生みたいなことをしてる姿はあまり見るものではないから、僕には、何か、異様な光景に思え、変に不気味に思えた。彼らは何やらピカチュウやら、ミューツーやら、(ポケモン分野に精通していない僕でも知っているくらいの)、有名なモンスターを言ったり、とても楽しそうに話していた。私はそこで、今朝、テレビのニュースで言っていた、ポケモンゴーというスマホゲームのことを思い出した。あれは確か、今日から始まるゲームだとか言っていた。

それにしても、すごい影響力である。校内の、あらゆる空間で、頭を突き合わせた数人の塊が、ポケモンの話をしている。まるで、迷ってポケモンの世界に飛び込んてましまったようである。僕はそういう類の、スマホゲームをやらないから、彼ら彼女らの話の中に出てくる、いかにも専門的そうなボキャブラリーがわからない。さらにポケモンゴーブームが熱を帯びて、大学内をポケモンマスター達が支配し始めたら、僕をはじめとした、流行に乗らないぞ組は、真っ先に大学から追い出されると思う。

話を合わせられるようにするために、とりあえず、インストールぐらいはしとこっかな。

村上春樹とボケた爺さんの話

村上春樹は難しい。ずっとそう思っていて読むことはなかったのだけれど、最近読む機会があった。大学の図書館で、読む本を探している時にたまたま、『風の音を聴け』が目についたのである。僕は別段読む気が合った訳ではなかったのだが、他に読みたい本が無かったので、その本を手に取り、カウンターに運んだ。

食わず嫌いが多い僕は、何かといって損をしているようである。具体的なことがらは思え出せないけれど、食ってみたら意外と美味かった、今まで食わなかったとかマジ損したわ、みたいなケースが最近やたらに多いのである。なんとなく今まで食わなかったというものを、口にしてみよう心がけるようになってからの話である。

さて、僕が初めて読んだ『風の音を聴け』は、村上春樹の処女作で、薄っぺらな本である。その後、僕は『ノルウェーの森』とか『1965年のピンボール』とか『色彩を持たない多崎つくる』とかを、この本から続けざまに読んだが、一番印象に残り、まじで意味わかんねえと思ったは、最初に読んだこの本であった。

村上春樹はたしかに難しい。これは間違いない。表現が難しいとか、文章が難解であるとか、そういうことではなく。ただ、面白いのもまた事実。独特の世界観が読む人をひきつけ、決して飽きさせない。

先入観でものごとを決めてしまうことほど、つまらないこともない。90のボケた爺さんの話を聞くことくらいつまらない。いや、ボケた爺さんの話がつまらないなんて決めつけて。それもやっぱり先入観ではないか。

お酒を飲むことについて

 お酒を法的に飲める年齢になってはや一年。飲み会大好きな大学生であるがゆえに、最近飲みの機会がとても増えている。新年度に入ったばかりだからというのもあるが、これほど毎日毎日お酒に接するという日常を過ごしたことはない。人生のステップをもう一段踏んだような、少し大人に近づいたような、そんな気分である。もうそういう歳になってしまったのだな、と思い少し悲しくなったりするけれど。

 大人になるにつれて感受性が豊かになる。つらいことがあったり、やりきれない気分になったりすることも増えていくのだろう。そんなこれからの人生において、お酒の登場場面が増えていくのは、いわば必然といえるかもしれない。

そんなことを考えつつ、のどごし<生>を音を立てて開ける。キンキンに冷えたビール。缶を持つ右手が冷たい。お酒とうまく付き合っていけるように、今からたくさん飲んで飲んで、その付き合い方を身に付けておこうと思ったわけである。さあ、飲むぞ!!

 それにしても、真夏日の高温度のなかでキンキンに冷えたビールを飲むってのは、たまらない。身体の中に溜った気持ちの悪い塊が、どわどわと冷たい液体と、しゅわしゅわの気泡に流されていく感覚が、とても壮観だ。のどごしがいい、とよく大人たちは言うのだけれど、最近、その感覚がとてもよく分かるようになった。やはり、年をとったようである。