うまの横顔

都会で刺激的な生活を送る僕と、田舎で何の変哲もない生活を送る猫。

日本に四季が必要な理由の一つは「コミュニケーション」のため。

冷たい風が顔にぶつかった。痛い、と思った。吐く息が白い。吸い込んだ冷たい空気が、口の中で温められて白い息となって外に出ていく。春はまだ来ないのだろうか。過ぎ去ったと思っていた寒い冬が、まだ東京に居るっぽい。さすがにさろそろ春にバトンを渡せよと、いい加減おもう。

季節の変わり目は風邪をひきやすい。日本という四季のはっきりする国に生まれ育っても、それに対応できる特別な体になるわけではないらしい。急激な気温の変化に身体は弱り、どこからか身体の中にやってきたウイルスによって元気な細胞がむしばまれていく。季節の変わり目、のどをやられ、熱にうなされる僕は毎回思う。ああ、なんで日本は四季なんてもんがあるんだ・・と。

『寺子屋』という番組を有名動画サイト「ユーチューブ」で面白い動画を探していたら、最近本で読んだ齋藤孝氏の動画が出てきた。僕はすかさずその動画を再生した。

「どうも、齋藤孝です。本日はお集まりいただき、ありがとうございます。本日はコミュニケーション力のお話をさせていただくということで・・」と、画面の中で齋藤孝氏が『コミュニケーション力』とかいうものについて熱弁を振るい始める。

「コミュニケーション力と言うのは、仲がいいお友達と楽しく話せる力を言うのではありません。知らない誰かと楽しく、長くお話しできる力のことを言います。たとえば・・」

この後、約30分ほどのトークが展開されるのだが、その中で、「四季」が出てくる。僕はそのお話しを聞いて、ああ日本に「四季」は必要だ・・と思ったのである。いったい僕はどんなお話を聞いて、そう思ったのか。

「たとえば近所のおばさんと、家の前ですれ違う時。『あら鈴木さん。今日は寒いですねえ。(本当寒いですねえ)。あたしなんて今5枚もこの服の中で着てますよ(笑)あら、そんなに(笑)そういえばテレビで観たんだけど、ショウガをすって乾燥させたものを食べると冷えが解消されるんですってよ。まあ!ぜひ・・・』というように話が続くわけです。」齋藤孝氏は、四季があることでコミュニケーションが生まれる、と説く。

なるほど。と僕は思った。日本人にしか、こういった季節のお話しはできない、と。四季があるから、近所のおばさんとお話ができる。「四季」例えば今だったら「冬のように寒いですね」という共通の話題でコミュニケーションができるのだ。

四季と言うものは、コミュニケーションにおける、鉄板ネタであるのだ。これは、日本になくてはならない。コミュニケーションのために。

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