「清原」を考える。僕の経験から。
僕は高校時代、野球部に所属していた。
それも、高校名を聞かれて「○○高校です」と言えば、「え、まじ?○○高校?」と2度聞きされるほどの超強豪校であった。
県内だけでなく全国的にも名が通っているほどの名門である。
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後輩にプロに入った奴がいる。
名をうっかり挙げてしまうと僕の身元が明らかにされてしまう気もしなくもないので(笑)、名を挙げずにKと呼ぶことにするが、そのKは野手で、僕の代では二塁手、彼の代では遊撃手をやっていた。
何よりもバッティングが魅力的で、大舞台であればあるほどバットを思い切り振りきれるような奴だった。
どういった人物かといえば、お調子者なキャラであった。
グランドではいつでも真面目な表情のイメージがあるが(チームメイト内以外はそう思っているはず)、ひとたびユニフォームを脱ぐとやんちゃな仲間たちとギャーギャーワイワイ。いつもへらへらしている。
そのように言うと聞こえが良くないが、グラウンドでは真剣に、私生活は楽しく、としっかりと「オンとオフ」ができるような奴であったということだ。
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清原が捕まった。
ニュースを目にしたときはさすがに少し驚いたが、同時に「・・やっぱりか」とけっこう納得できてしまう自分でもあった。
それはなぜだろう・・か。と考えるとわかる。
たぶん、プロ野球選手が身近な存在だったからだと思う。
どういうことか。
つまり、プロ野球選手はただの人であるということを、プロ野球選手とは縁のない(大半の国民)人よりも知っていたからだ。と思う。
プロ野球選手という肩書がついても、何も変わることはない。プロ野球選手になった途端にびりびりと脱皮をするように進化するわけではない。KはKのまま。「○○高校4番のK」が「プロ野球選手のK」と世間からの見られ方が変わっただけである。彼自身も、「自分はプロ野球選手なんだ」と自覚するくらいなものである。
後輩・Kは確かに野球はうまい。特にバッティングセンスは光るものがある。だが、人間的に・・と言った話は別である。全くの別物である。プロ野球選手になって良い風に変わっていく人もいれば、鼻ばかりが伸びて、そらに悪い方向に進んでいく人もいるのだ。
プロ野球選手になる人(である人)が人間性的にも「素晴らしい」とは限らないという事である。
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みんな、プロ野球選手=人間性も素晴らしい(しそう)と思い込んでいないか。
ただ野球がうまいだけであることを理解していないと思う。もちろん、中には人間的にも素晴らしい選手はいるだろうが。僕も思いつく選手もいるし。
ただ、何度も言うが、野球選手だからと言って、それ以外で素晴らしいとは限らない。もちろん、「くそみたいなやつ」も「本当に野球しか取り絵がない」という選手もいる。
普通の人よりも世間を知らない分、世間知らずな選手も少なくない。○○の常識は国民の常識ではない。なんて聞くこともあるが、(これは政治家にも言える)本当に、それ。
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で、清原のお話しに戻るが・・。
彼は確かに野球界では素晴らしい実績を残した人物には違いない。
巨人の四番を背負い、HRをたくさん打って、さんざん騒がれてきた。
でも、それでも、プロ野球選手は「ただの人」である。プロ野球選手と呼ばれた「ただの人」である。
もともと彼がどのような人間だったのかは、話したこともないしかかわったこともないからわからないが(テレビなどの情報は当てにしない)、
プロ野球選手になってどのように変わったのか、変わってしまったのかについては、
「清原、逮捕」
がすべてを物語っている。